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ジプシー(ロマ)音楽」と聞くと、真っ先に思い浮かぶのは、スペインのフラメンコかもしれない。しかし、ジプシー音楽とは、実は、遠い昔に北インドから移動してきた民族が、欧州大陸の各地で伝え育ててきた音楽スタイルの総称だ。国や地域によって異なるさまざまな要素を取り入れ、長年にわたり培われてきたジプシー音楽は、ジャズやポップス、クラシックなどあらゆるジャンルの音楽に多大な影響を与えてきた。例えば、「ジプシー・ジャズ」といえば、ロマ出身のベルギー人天才ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトが生んで世界に広めたジャズのスタイルだ。

東京の駐日欧州連合(EU)代表部で5月25日に開催された「ヨーロッパハウス・オープンデー」では、さまざまな民俗色豊かなイベントが行われた。中でも、アコーディオン、ギター、ウッドベース、そしてバイオリンの4人組の軽やかな演奏を楽しんだ人たちは多いのではないだろうか。ルーマニア人のバイオリニスト、ポール・フローレア(Paul Florea)さんが、この催しのために、イタリア人、フランス人、日本人のメンバーで「結成」したジプシー・ジャズ(Gypsy jazz)・カルテットだ。ポールさんが一緒に演奏するメンバーは、その時々で違い、デュオやトリオのときもあれば、ソロのときもある。曲目も“All of Me” に代表されるようなジャズのスタンダードナンバーからポップス、映画音楽、クラシックまで多彩だ。しかし、ひとたびポールさんたちの手にかかると、どのようなジャンルの曲でも、耳に慣れ親しんだオリジナルのメロディーが見事に「ジプシー・ジャズ」に変身する。

そのポールさんに、ジプシー音楽(囲み記事参照)の本質とは何なのか、また日本で演奏活動を続ける理由などについて話を聞いた。

5月の「ヨーロッパハウス・オープンデー」で演奏するポールさんのジプシー・ジャズ・カルテット

ジプシー音楽の本質は自由と情熱

ジプシー・ジャズの創始者、ジャンゴ・ラインハルト。若いころのやけどで左手の薬指と小指が不自由だったが、独自の演奏法を編み出した ©Library of Congress, Music Division

「ジプシーは世界中どこにでもいます。ジプシー音楽をひと言で表現するなら、『自由』だと思う。例えば、ルーマニアには、手つかずの自然が多く残っていて、ジプシーたちはその自然の中をキャラバンで移動して、自由に生きてきました」とポールさん。その演奏スタイルは「自由」で、「すべての音楽は、ジプシー・スタイルで演奏することができます」。

もちろん、その「ジプシー・スタイル」も地域や国によって違いはあるが、共通する本質は「自由」、そして「情熱」だとも彼は言う。「ジプシー音楽はマイナー(短音階)で、哀調を帯びていますが、情熱的に演奏することで、その対比によって、とても陽気な雰囲気にもなるのです」

「ジプシー・ジャズ」は「マヌーシュ・ジャズ」(マヌーシュはフランス北部やベルギーに住むロマたち)とも呼ばれ、そのスタイルをギターで生み出したのは、最初に触れたように、ベルギーのジプシー・キャラバンで産声をあげたジャンゴ・ラインハルト(1910~1953)だ。パリを拠点としたラインハルトが当初取り込んだのは、フランスのカフェ・ミュージックとして一世を風びした「ミュゼット」(※1)だった。ジャズ・バイオリンの巨匠、ステファン・グラッペリ(1908~1997)は、ラインハルトが結成した伝説的な「ホットクラブ五重奏団」に参加したことでも知られる。

ルーマニアから世界へ踏み出す

ポールさんもロマ出身だが、ルーマニアの人口の10パーセントほどを占めているともいわれるロマの人々の音楽は、同国の民俗音楽はもちろん、あらゆる音楽文化に深い影響を与えている。

ジョルジェ・エネスク(George Enescu)は、作曲家、指揮者、ピアニストであり、クライスラーなどと並び称される20世紀前半最高のバイオリニスト。現在ブカレスト市内には「ジョルジェ・エネスク博物館」が設置されており、2年ごとに開催される「エネスク国際音楽祭」(9月)には、ヨーロッパの主要オーケストラが招かれる(写真:Wikimedia Commons)

クラシックの分野で、ルーマニアが誇るバイオリニスト・作曲家のジョルジェ・エネスク(1881~1955)の作品には、ジプシー音楽の影響が色濃く出ているが、中でも『ルーマニアン狂詩曲』は世界的に有名だ。また「ルーマニアは、優れた弦楽器奏者もたくさん生んでいます」とポールさん。「有名なソリストがたくさんいますし、オーケストラのコンサートマスターなどで活躍するルーマニア人も多い」。

ポールさんによると、フローレア家の家系は多くの音楽家を輩出しており、その「家訓」は、「あらゆる楽器に親しむこと」だそうだ。彼が初めてバイオリンを手にしたのは、5歳のとき。「父から、『お前のためのオモチャだよ』と渡されました」。誰も弾き方を教えてくれたわけではなく、最初は本当にオモチャとして楽器に親しんだ。やがて著名なバイオリニストの指導を受けるようになり、学校に通い始めてからは、放課後も「友達とサッカーをする代わり」に、毎日4,5時間は練習に励んだ上、ピアノやクラシックギターの勉強もしたという。「別に強制されたわけではありません。よい演奏家になるためには、たくさん練習しなければと、自然に思ったんです」。

バイオリンは、エレクトリックバイオリンを含め、演奏によって3種類を使い分けている

「そのうち、コンサートで演奏したり、コンクールに出場したりし始めました。12歳の時、父親に連れられて行った結婚式で演奏して、初めてお金をもらい、とても得をしたとうれしかった覚えがあります」

15歳ごろから、海外の演奏旅行に出るようになった。同行するのはアコーディオン奏者の父親のこともあれば、やはり音楽家として活動するいとこたちだったりした。ルーマニアは当時、チャウシェスクの独裁政権下(1974~1989)にあり、国外に出られるのはアーティストを含め、限られた「特権的」な人たちだけだったという。しかし、早くから他のヨーロッパの国々で演奏する機会を得た経験は、ポールさんの血となり肉となった。

ルーマニアの音楽学校で学び、20歳になると国立オーケストラ・ラジオとジョルジェ・エネスク交響楽団に参加。2年後には第1バイオリニストとして活躍した。一方、ポールさんの2人の兄も、それぞれピアニスト、バイオリニスト、妹はオペラ歌手の道を歩んでいた。

「進歩」のために日本で新たな音楽スタイルを

演奏家として順調なキャリアを積んでいたが、大きな転機が訪れたのは1998年。長崎県佐世保市のハウステンポス(オランダの街並みを再現したテーマパーク)が、演奏者やダンサーのオーディションをルーマニアで行い、ポールさんがその中の一人に選ばれたのだ。

「ルーマニアにいれば、恐らくそのままオーケストラでクラシック音楽を演奏することが多かったでしょう。私はソロでも活動したかったし、新たなスタイルを模索したかった。私がいいと思う新しい要素をいろいろ取り入れて、『進歩』したかった」

クラシックからジャズ、ポップス、映画音楽に至るまで、ポールさんが奏でるバイオリンは、軽やかで陽気かと思えばある時は情熱的、またある時は哀調を帯びたり、自由自在だ

ハウステンポスでは、演奏だけではなく、さまざまなショーのプロデュースも担当した。その後、横浜、東京とベースを移しながら、演奏に日本の音階を取り入れ、バイオリンで琴や三味線に似た音色を工夫するなど、意欲的に、自由に自分のスタイルを作りあげている。移り住んだ土地の文化、音楽との出会いから新たな音楽スタイルを生み出すという、まさに「ジプシー・スタイル」の音楽づくりを踏襲しているのだ。

「日本の聴衆が大好きです。演奏で伝えたい思いを、聞き手がちゃんと受け止めてくれる。演奏しながら心の中で泣けば、彼らも泣く。とても感受性が強い」とポールさんは言う。

幼児が自然に音楽を体得できるように

現在は欧州系企業のイベント、ホテルやレストラン、ジャズバーでの演奏など、柔軟で精力的な活動を展開しているポールさんだが、こうした活動の一方で、毎週、無報酬で幼い子どもたちに音楽を教えている。「私自身がそうだったように、言葉を学ぶのと同じ要領で、音楽を自然に体得させることを目指しています」。実際、生後5カ月ぐらいの赤ちゃんが、バイオリンの音色を聞き、実際に弦に触ったりして、とても楽しそうに音楽に慣れ親しんでいるそうだ。

街を歩いていると、自分が教えていた子供たちが、「こんにちは、センセイ!」と声をかけてくる。ポールさんの妻や娘はまだルーマニアにいるけれど、東京ではたくさんの子どもたちに囲まれているので幸せだとポールさんは言う。でも、その家族とまた一緒に住める日も近い。

「来年、私の娘が高校を卒業したら、東京に家族を呼び寄せることになっています。娘は、上智大学を志望しているんですよ」そう言って、ポールさんは顔をほころばせた。これからもずっと、東京からジプシー音楽の魅力を発信し続けてくれることだろう。

「多様性の中の統合」を体現するジプシー音楽

フランスでは「ジタン」、「マヌーシュ」、スペインでは「ヒターノ」、イタリアでは「ツィガーヌ」、ドイツでは「シンティ」、「ツィゴイナー」など、自称、他称のさまざまな名で世界に拡散するジプシー。近年では、政治的・人権的配慮の下、彼ら自身の呼称である「ロマ」が統一名称として用いられることが多い。

ハンガリーのBorsod-Abaúj-Zemplén郡にあるBódvalenke村で、国際ロマ民族デー(the International Romani Day) を祝う人たち。この村の人口は95パーセントがロマだ ©European Union, 2013

ジプシーという名称は、英語のエジプト人(エジプシャン)が由来だと言われている。

ヨーロッパやペルシャの古い文献、あるいは言語学的推察によれば、現在ジプシーと呼ばれる人々は、インド北西部発祥だと考えられている。10世紀頃に、そうした人々の一部が西進し、トルコ、エジプト、中東からバルカン半島を抜けて、ヨーロッパ、果ては北アフリカまで移動、何世紀にもわたり差別等により苦難の歴史を歩み続けたといわれる。約一千年の間、熊使いの大道芸、冶金、占い、そして楽士などを代々の生業にしつつ、行く先々の土地の文化的要素を取り入れ、互いに影響を与え合い、また新たな音楽を生み出してきたその軌跡が、ジプシー音楽に多面性を与えている。

ジプシーの音楽は、バルトークやリスト、サラサーテなどクラシックの作曲家に多大な影響を与え、また、スペイン南部ではフラメンコを生み出した。現在でも旅を続ける人々もいるが、多くはスペイン、フランス、東欧の村々などに定住している。

 

プロフィール

 

ポール・フローレア Paul FLOREA

1967年、ルーマニア・ブザウ生まれ。5歳からバイオリンを学び始める。ブカレストのジョルジェ・エネスク音楽高等学校、スピル・ハーレット大学の音楽学部で学ぶ。人気ジャズ・バイオリニストのフローリン・ニクレスクは音楽高校の同級生。20歳で国立オーケストラ・ラジオとジョルジェ・エネスク交響楽団に参加。1998年に来日、2004年まで長崎のハウステンポスの専属バイオリニスト、その後2009年まで、横浜の老舗ミュージックレストラン、アルテリーベを主な演奏の場とした。現在は東京在住。代官山のジャズバーでは、毎週ライブも行っている。

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